瀬戸内海に浮かぶサイクリストの聖地「大三島(おおみしま)」。この島には、「日本総鎮守」と称され、古くから朝廷や名だたる武将たちの信仰を集めてきた、日本屈指の歴史を持つ神社があります。それが「大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)」です。けれど、初めて訪れた人が、その歴史のすべてに気づくのはなかなか難しいもの。そこで今回は、ベテランガイドの渡邉純治さんに案内してもらいながら、境内をじっくり歩いてみました。すると…「初代総理大臣の伊藤博文さんの、生涯最後の書がここにあるんですよ」「実は、全国の国宝・重要文化財に指定された武具の約8割がこの大三島に集結しているんです」歩くたびに「へぇー!」が止まらない!知れば知るほど面白い、神の島のディープな歴史散策へいざ出発です。渡邉純治さん:御島ガイドの会のボランティアガイド。大山祇神社のそばにある「道の駅 しまなみの駅御島」では観光ボランティアガイドを受付中。暑い中、引き受けていただき、ありがとうございます。始まりはいきなり「初代総理大臣の書」!?神社に到着してすぐ、渡邉さんが案内してくれたのは、参道の入り口に厳かに佇む大きな石碑(社号標というそう!)。そこには、力強く「大日本総鎮守 大山祇神社」と刻まれています。「この文字、誰が書いたか分かりますか?明治42年にここへ参拝に来た、あの伊藤博文さんなんです。彼はこの年の10月にハルビンで暗殺されてしまう。つまり、これが彼の生涯最後に、公に残した書なんですよ」正直、普段なら気にも留めずに通り過ぎてしまいそうな石碑に、いきなりそんな濃いエピソードが隠されていたなんて……。でも、そもそも山口県出身の初代総理大臣が、なぜこの瀬戸内の島にわざわざやってきて、これほど見事な書を残したのでしょうか。「実は伊藤博文は、この地域を治めていた豪族『越智(おち)』に自らのルーツがあると考えていた、と言われているんです。明治時代、彼が正式な文書を書くときに『越智宿禰博文(おちのすくねひろふみ)』と署名したとも言われています。」この今治地方全体を指す「越智」という地名、そして今治にとても多い「越智さん」という苗字。実は奈良時代の『伊予国風土記』にも登場するほど古い歴史があるんだそう。そもそも「越智」のルーツって、一体何なんでしょうか?「はい、その話はまたあとでも出てきます」思わず先走って聞いてしまいましたが、ふと見上げると立派な鳥居が。そういえば、まだ鳥居すらもくぐっていませんでした。「実はこれは『二の鳥居』で、『一の鳥居』はここから少し離れた宮浦港のそばにあるんです。しまなみ海道ができるまでは、みんな港から参道を通って参拝していたんですよ」そうでしたか。それなら『一の鳥居』をくぐってくるべきでしたかね。「まあ、大丈夫だと思いますよ(笑)でも本来の神域はもっと広いということです。」気になったので、渡邉さんに教えてもらって後から見に行ってきました。海を背負って静かにそびえる大きな一の鳥居。昔の人々が船を降り、ここから神社を目指して歩いた情景が目に浮かぶようです。参道散策のついでに立ち寄ってみるのも、いいかもしれません。駐輪場の屋根に眠る、水軍たちのドラマ境内を進むと、サイクリストで賑わう大三島らしく、立派なサイクルラックを備えた駐輪場が見えてきます。ですが、その建物をよく見ると、なんだか古いお堂のような趣のある佇まい。「これはね、もともとは『絵馬殿(えまでん)』として建てられたものなんです。もともとは絵馬ではなくて、本物の馬を神社に奉納していました。江戸時代には松山藩が55回も本物の馬を奉納した記録があるくらい、古い歴史があります。それがやがて、馬の絵を描いて奉納するようになった。馬を飼うのも大変ですからね。」そうですよね。でもこの広い境内に、かつては馬がいたんですね。「晴れを願うときは白い馬、雨を願うときは黒い馬や黒雲を描いて奉納したんですよ。絵馬は昔の人の切実な願いの形なんです」渡邉さんに促されて見上げた屋根の裏側には、色あせながらも圧倒的な迫力を残す巨大な絵馬の数々が並んでいました。「例えばこの絵は、神功皇后が三韓征伐へ赴くシーン。描いたのは江戸時代の今治の絵師です。」「そして反対側にあるのが、あの『弘安の役』の戦いでの話を描いた絵馬なんですよ。14万人もの元軍が押し寄せてきたとき、この地方の水軍を率いて戦ったのが河野通有(こうのみちあり)という武将でした。まさに苦戦を強いられていたとき、一羽の白鷺が飛んできて、通有の矢を咥えて相手の総大将の船の上に落とした。その目印を目掛けて攻め入り、見事勝利を収めた…という伝説のシーンがここに描かれているんです」ただの自転車置き場かと思いきや、まさか壮大な歴史ドラマを今に伝えるスポットだったとは。自転車に乗る人も乗らない人も、ここに来たら一度立ち止まって、ぜひ屋根の裏を見上げてみてください!瀬戸内の島に「日本の歴史」が集結したワケでもなぜ、瀬戸内の島にある神社が、ここまで全国に名を轟かせる存在になったのでしょうか。「そもそも大三島は『神の島』という意味で、古くは『御島(みしま)』と呼ばれていたんです。お祀りされている大山積大神(おおやまづみのおおかみ)は、あの天照大神の兄神にあたり、山と海の双方を司る非常に格の高い神様なんですよ」「大山祇神社の歴史は果てしなく古く、神話の時代、なんと日本の初代天皇・神武天皇の『東征』まで遡ります。九州から、都のあった大和を目指した神武東征ですが、実はそれより前に勅命を受け、先駆けとしてこの島へ赴いた人物がいた。それが大山積大神の子孫・オチノミコトです。彼がこの地で神様をお祀りしたのが、いまから約2600年も昔のことと言われています」オチノミコト!『越智』という名前のルーツって、もしかしてこの方なんですか?渡邉さんはうなずいて教えてくれました。「漢字の表記は時代によって『小千』『乎致』『越知』と様々変化してきましたが、少なくとも奈良時代の『伊予国風土記』には、すでに『越智』という名称が記されていたと言われています」境内の中央に大きく根を張る御神木の大楠は、なんとそのオチノミコトが自ら植えたものだと伝えられているのだそう。つまり、2600年もの間、この木はずっとこの地で歴史の移り変わりを見守り続けてきたということ。途方もないスケール感に、ただただ圧倒されるばかりです。「当初は島内の別の場所に社があったんですが、奈良時代の719年、越智玉澄(おちのたまずみ)氏の手で現在の場所に社殿が整えられたと言われています。そして、その子どもが初代の『大祝(おおほうり)』となります」大祝…?初めて聞く単語です。「大祝は、今でいう宮司に近いですが、単なる神職ではありません。『擬神体職(ぎしんたいしょく)』といって、大祝自身が神様の依り代となり、その身に神霊を宿す特別な存在だったんです。」単に祈りを捧げるだけでなく、自らが神様の化身になるなんて、スケールが違いすぎます……!「大祝と同じく越智玉澄氏の血をひき、優れた航海術と圧倒的な水軍力を持つようになったのが、河野一族です。彼らはここを氏神として仰ぎました。そしてあの『壇ノ浦の戦い』でも源氏側に就いて勝利に貢献しました。実は宝物館には、その壇ノ浦で河野氏が着ていた本物の鎧兜もあるんですよ」ええっ!あの歴史の教科書の『壇ノ浦』の生々しい実物がここに!?「それだけじゃありません。勝利を収めた源頼朝や源義経も、激戦の中で自らの身を守った鎧を奉納しています」頼朝に義経まで……!レプリカじゃなく本物が並んでるなんてすごすぎます…。武将たちが戦の前に必死の思いで勝利を祈り、戦を終えれば神への感謝として自らの武具を捧げる。そんな歴史ロマンの舞台が、ここ、大山祇神社にあったとは。驚きです。神話を感じる「幻の酒」渡邉さん、早くそんな貴重な鎧を見に行きましょう!はやる気持ちを抑えきれずにいると、「まあまあ、まずはお参りから行きましょうね」と制されました。……大変失礼いたしました。心を落ち着かせ、境内の奥にある拝殿・本殿へとお参りに向かいます。重厚な佇まいで参拝者を迎えてくれる拝殿と、その奥の本殿。渡邉さんによると、これらはどちらも国の重要文化財に指定されている貴重な木造建築なのだそう。「現在の本殿と拝殿は、1322年の火災で焼失したあと、室町時代初期に再建されたものなんです。素木(しらき)の美しさをそのまま生かした建築で、屋根はヒノキの皮を幾重にも重ねた伝統的な『檜皮葺(ひわだぶき)』という技法で作られています。50年〜60年に一度葺き替えを行うんですが、職人さんの技が詰まっているんですよ」前回の葺き替えからちょうど30数年経つそうなので、ちょうど折り返し地点ですね。美しさに見とれながら、ぐるりと境内を見渡すと、積まれたお酒の樽が目に飛び込んできました。「実は『日本書紀』の中に、大山積大神が娘の結婚(神話の木花之佐久夜毘売とニニギノミコトの婚姻)を大変喜んで、お酒を振る舞ったという記述があるんです。そこから、大山祇神社は『日本最古の酒造の神様』としても知られているんです。ここで祈祷を受けた方にだけ授与されるものなんですよ」えっ、御祈祷を受けた人しか飲めないんですか!?味見してみたかったですね…。「そうなんです。神社でしか手に入らない幻のお酒なんですが……どうやら、ものすごく美味しいらしいですよ」そう言われるとより味わってみたくなりますね…。神話の時代から続く「酒造りの神様」としての顔。拝殿の横に佇む酒樽にも、知れば知るほど味わい深い歴史が隠されていました。カメラを置いて、いざ宝物館へさあ、いよいよ待ちに待った「大山祇神社 宝物館」へ参りましょう!渡邉さんも「大山祇神社に来たなら、ここを寄らずに帰るのは本当にもったいない!」と力強く言うから、期待がますます高まります。大変残念ながら、館内はすべて写真撮影禁止。しかし、だからこそ。ここから先はスマホをポケットにしまい、現地を訪れた人だけが味わえる、言葉を失うほど贅沢な空間が広がっています。一歩足を踏み入れると、薄暗い空間のガラスの向こうに、怪しいほどのオーラを放つ本物の鎧や刀剣がずらり。驚くべきことに、日本全国にある国宝・重要文化財に指定された武具類の、なんと約8割がこの大三島に集結しているのだといいます。先ほど話に上がった源頼朝や源義経が奉納した大鎧も、まさに目の前に佇んでいます。レプリカではなく、何百年も前に歴史の主役たちが本当に着用した「本物」です。ずらりと並ぶ刀の妖艶な輝きに、そして細部まで彩られた鎧の威(おどし)の美しさ……。思わず「は〜…」とため息が漏れてしまいます。感動していると、渡邉さんは少し声を潜めて、知られざる苦難の歴史を教えてくれました。「戦後、GHQから『神社にある刀や武具をすべて没収・廃棄せよ』という通達が届いたんです。そのとき神職さんたちは、本物の刀や鎧を地中に掘った穴の中に隠しました。刀にはオイルをたっぷり塗ってね。彼らの命がけの決断がなかったら、今私たちがこれを目にすることは絶対にできなかったでしょう」国宝館を出たとき、入る前とは明らかに世界の見え方が変わっていました。歴史の教科書で見た遠い世界の話が、急に自分と同じ人間が過ごした「リアルな出来事」としてつながったような、不思議な感覚。昔の武将たちも、それを取り守った人たちも、みんな必死にこの場所へ思いを繋いできたんだなと、ただただ圧倒されるばかりでした。「本物」だけが持つ熱量を、ここ大三島で受け取る「今の時代、都会の大きな博物館に行けば、レプリカや綺麗な映像で歴史を学ぶことはいくらでもできます。でも、ここにあるものはすべて『本物』です。何百年もの間、この場所を動かずにずっと守られ続けてきた。だからこそ伝わる熱量が、ここにはあるんです」渡邉さんの言葉通り、プロのガイドと一緒に歩く大山祇神社は、単なるパワースポット巡りという言葉では片付けられない、五感が震えるような歴史ロマンに満ちていました。大人になって久しいですが、なんだかもう一度歴史の教科書を開いて勉強し直したくなりました。しまなみ海道の風に吹かれ、少しだけ足を伸ばして、カメラを置いて。あなたもぜひ、この島に息づく「本物の物語」に、会いに行ってみませんか?今回立ち寄ったスポット大山祇神社住所:愛媛県今治市大三島町宮浦3327公式サイト:https://oomishimagu.jp/